第5話 シュレディンガーの2023

ごきげんよう

 

シエニーチュアンです。

 

12月31日年越し前の、喉の奥からなにかがクラウチングスタートするような焦燥感が、きたきたきたとボルテージを上げていく。何も考えられなくなる結構ヤバめのこの焦りは私にはとても好ましい。みんなは仕事納めとかするらしい。今年中に片付けておかなくちゃ、とか、これは来年に持ち越すかーなどと、見ていてかっこいいなと思うが私には特にこれといって何の区切りもないのが通例。

休日だけ、家の近所の古めかしい寿司屋さんでアルバイトをしているのだけど案の定大晦日もお手伝いをしていた。賄いが豪華で嬉しかったけど、いつも豪華だから特に変わりなし。こんな冴えないブログあるか。

何の総括も何の抱負もなし。

というか暦がいくら変わってもまだ0年代もわかってないんですけど!!まって!!みたいな、でもまあこの調子で行けば順調に追いつくから先行っててみたいな感覚があるのみ。時代の区切りごとに、私は、美術なら戦後から、オタク文化はデータベース消費(デ・ジ・キャラット)から何か履修、というかわかった気にならないと先に進めない。そんなものを盾にそれ以外をおざなりにしてしまうのが私の良くない癖だなと思う。しかも一生わからないのかもしれないのにきりのよいところで納得して先に進むことをしない。

 

似たような例で、学生時代に覚えた挫折の一つに邦画がある。高校時代とてもアグレッシブに家から自転車で30分のTSUTAYAに通って邦画コーナーの棚を解き明かそうとしていたことがある。(白黒映画には手を出さなかった。子供だから。)それは洋画に向けてのエクササイズでもあって、日本の映画を全てわからないと大海原(洋画)には飛び込めないと本気で思っていて、苦行のようにジャンル分け、マッピングをしていた。正直手に取らずに後にまわしていた邦画の澱たちをみる頃に、全部見るのはつらすぎるし不可能、悪夢探偵の2絶対見たくないしと思ってたら卒業式で、高校を卒業して、それとともにベッドで自然に息をひきとるようにTSUTAYA通いをやめた。今思えば序盤でもうとっくに狭い年代に限るが邦画がなんたるか心得ていたと言って良かったのかもしれない。本当にそれに3年もかけた。私はセオリー通り数学の先生が好きだったし、(多分好きじゃなかった)だから数学成績よかった。証明問題A4用紙に一問だけ上面に書いてあって何行も使って解ってることをどう解ってるか書いていくの手紙みたいだなーと思っていた。最悪最悪最悪。結局学生時代に嗜んだ洋画はハリーポッターだけ。文字に起こしてみるとハリーポッターのみというのは滑稽すぎる。伝わらないかもしれないけど全力でハリーポッターが好き、全力で観たし恥じるようなこと何もない。だけどそれくらいエクササイズの目標を見失った。何にも活かせなかった。邦画あるあるの大会があったらすごくじょう舌かもしれないけど寒すぎ!私は世界の映画が見たかった。

見ないことで想像が無限に膨らんだり、選択しないことで、AかもしれないしBかもしれないはたまたZ’’’’’’’まであるかもしれないよ!と思い込むのは、30歳までにはやめようかなと思う。

問題は大まかに言って二つある。

古い文化(もう確定してしまっているもの)にロマンを抱きすぎ。

これから先の、見えないものを見ないままいること、選択しないロマンを過信しすぎ。

 

今年からは、下記の準備がしたい。

古代の遺跡を、ちゃんと水面に顔を出して研究・更新・発表したいし

見えないものをちゃんと確認して誰かが見える状態にしたい

 

上記を踏まえた去年のダメだったところ第168位

水星の魔女、私が初めてリアルタイムで追えるはずだったガンダムシリーズを見ないことでシュレディンガーガンダムにしてしまったところ。

 

上記を踏まえた今年のダメだったところ暫定1位

年賀状は来てないかもしれないけどポストを開けるまでは来てる可能性もある、と目が完全に覚めているのに無理をして二度寝したこと。

 

【本日の豆知識】

すっぱいミカンを甘~く変身させる裏技、自転車のカゴに入れて町内を一周する。

明けましておめでとう